疲れるけれど、傷つくよりはずっとまし。
傷つくことが減った代わりに、疲れることが増えた。
ちょっと棘のある言葉をかけられた時。
目線が冷たかった時。
誰かに煩雑な言葉を投げつけてしまった時。
以前は一瞬一瞬を真正面から受け止めて、その度に心をすり減らしていた。
あの人は私が嫌いなんだろうか。
私は何かをしてしまったんだろうか。
どうしてあんなことを言ってしまったのだろうか。
答えのない反省や後悔は溶けたチョコレートみたいにべっとりとしていて、
小さなコップをすぐに満杯にしてしまった。
何回も何回も、掻き出しては満たされ、書き出しては満たされの繰り返し。
冷えて固まってしまったら、もう笑えなくなることだけは
教えられてもいないのに知っていたから
手を止めないことが何よりも重要だった。
海の真ん中でぷかぷかと浮き続けるよりも、
豆粒みたいな島を目指して泳いだ方が案外息は続くもので。
酸素さえあれば、手足の疲れなど取るに足らなかった。
しかしそれは過去の話。
何がきっかけだったのかは忘れた。
いや、本当は心当たりがあるのだけど、他人に伝えるには退屈すぎる。
コップが割れた瞬間、なんて劇的なものではない。
蓋をしたのだ。
もう何も注がれないように、
もう掻き出さなくていいように。
どんな豪雨でも、濡れなくて済むように。
最初の蓋は紙製で、すぐに湿ってしまった。
次の蓋は木製で、しばらくすると腐ってしまった。
その次の蓋は金属製で、熱を溜め込みすぎて蒸し風呂になってしまった。
そして今の蓋は右手。
時々雨漏りするけれど、嫌ではない。
コップの底に空けた小さな穴から、ぽたぽたと消えていくのを眺ている。
ただ、年に1回くらい雨漏りがひどいことがあって、そういう時は歩くのも大変。
小さい穴が1個では足りないから、もう2-3個針を底に刺したいのだけれど
ぬかるみに足を取られて進めない。
左足を前に出そうと右足を踏ん張ったら、右足が沈んで身体ごと飲み込まれていく。
ようやく抜け出せた頃にはもう汗まみれで、
持っていたはずの針は行方不明。
疲れた体を丸め込んで、晴れるのを待つしかないのだ。
耐えていれば時が勝手に進んでくれる。
そういうなんでもないことが、何よりも大切だったりするのだ。
疲れるけれど、傷つくよりはずっとまし。