考えたことをつらつらと。日々の記憶。

読本書留:太宰治『如是我聞』

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”他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。敵の神をこそ撃つべきだ。でも、撃つには先ず、敵の神を発見しなければならぬ。ひとは、自分の真の神をよく隠す。”

 

太宰治『如是我聞』はこの一節から始まる。「如是我聞」は本来、仏教で経文の冒頭に置かれる言葉だ。「このように私は聞いた」を意味する。なんと穏やかそうな言葉。しかし太宰の如是我聞は飢餓の猪のように終始荒れ狂っている。文壇からの批評に腹を立て、これでもかと怒りをぶちまけている。文庫本の一番後ろにお淑やかに身を潜めているわりに、信じられないほどの熱量を放っているのだ。『人間失格』や『斜陽』、『トカトントン』に漂うような無念、諦め、焦燥は見当たらない。理性をどこかに落っことしてきた、前のめりな文章の痛快さたるや爽快。口述をそのまま編集者が書き取ったという説もあれば、事前に原稿を作り込んでいたという説もあるが、いざ掲載すると決めた編集者の心情はどんなものだったのだろう。まるで心の暗い部分を代わりに世間様に暴いてくれているような快感。それでいて、当の自分は無傷なんだから二度美味しい。太宰が代わりに傷ついてくれるから、読者は勝手に救われる。どこぞの神様みたいだ。