考えたことをつらつらと。日々の記憶。

ワニワニパニック

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「出る杭は打たれる」という言葉を聞くと、小さい頃おばあちゃんと一緒に遊んだワニワニパニックを思い出す。100円玉を入れると何個かある洞窟からランダムにワニが出てきて、それを棒の先にボクシンググローブをくっつけたようなものでポコポコ叩いていくゲームだ。

 

おばあちゃんはよく週末になると市内のデパートに私を連れて行ってくれた。リビングで自由帳に絵を書いているとブレーキ音が聞こえてきて、おばあちゃんの車が駐車場に入ってきたことがすぐにわかった。カーテンをめくって外を見ると、玄関へと歩くおばあちゃんのコートの端が一瞬見えた。

 

週末のデパートは格好の遊び場。どの階の店員さんも赤ん坊の頃から私を知っていて、「本当に元気ね」と褒めてくれた。あの優しい人たちが当時何歳だったのかも、今何歳なのか、お元気なのかもわからない。そういう意味では昔も今も紛れもない「他人」なのだけれども、そんな風に括ってしまったら"何か"が閉じてしまう気がするのだ。

 

ワニワニパニックは屋上のゲームセンターの一番階段に近い場所にあった。買い物途中にデパートの食堂でおやつのホットケーキを食べるか、ゲームセンターへ行くかはいつもおばあちゃん次第。家にはゲームがなかったため、屋上に向かう階段はいつも全力で駆け上がっていた。「はーやーく!」と叫ぶと、おばあちゃんは「腰が痛いのよ」と笑った。そういえば、昔から腰がそんなに良くない。

 

ワニを叩くものはマシン横のホルダーに2つ入っていて、お金を入れる前に1人1つずつしっかり握るのがいつものスタイルだった。ガチャンと金属がなる音がするのと入れ替わりで、賑やかな音楽がなり始める。ガガッガガッという小さな摩擦音と共に、緑のワニが私の目の前に一匹出てきて、すぐさま叩く。今度はおばあちゃんの前に一匹出てきて、すごい勢いで叩かれた。びっくりして横を見ると「もうちょっと強く叩かないとダメだよ」と真剣な表情でつぶやく人がいた。あの場所で叩いたワニの数は残念ながら思い出せない。

 

大人になってゲームセンターに行く機会はほぼなくなった。見かけるたびにワニワニパニックを探すのだが、なかなかない。もう廃盤になってしまったのか?と少し残念に思っていたのだが、一昨年あたりに数年ぶりにあの屋上に行ったら、なんと残っていたのだ。ただ、遊ぶことはできなかった。ゲームセンター自体が営業しておらず、あらゆる機械が縄とビニールでぐるぐるに巻かれ、廃棄シールが貼ってあった。老朽化。少子化。理由なんていくらでも想像がつくし理解はできるが、確かにあった日常がこうやって過去になっていくのかと実感してしまった。大人になるってこういうことなの?もうこの場所に入れるのはきっと最後なのだと分かって、1枚だけ写真を撮った後、電気がひとつ消えたままの階段をひとりで下った。

 

時間が過ぎること、人生が進むことに私は好意的な人間だと自負している。過去も大事だが、浸るよりは自分なりに箱に詰めて大切に保存しておきたい。時々空けて懐かしい気持ちになれれば十分だ。浸ってしまうと、どうしても思い出を検証してしまう。今の価値観で捉えるものではないのだ。だってもう、私はワニを叩けない。強い力で力一杯なんて無理だ。余計なことばかり重ねてしまう。