考えたことをつらつらと。日々の記憶。

ちょうどいい

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3月頭、オーストラリアのケアンズに行ってきた。

高校からの友達と現地集合、現地解散の旅。

朝5時頃空港に降り立ち、8時頃宿に着いたら、

あまりにも普通なテンションで寝起きの友人が現れた。

何の感動もない。

お互い、近所のスーパーでたまたま会ったような感じだった。

 

それから4.5日。まぁよく話した。

23歳女2人で政治やらマイノリティやらデザインの話やら…。

構造的な考察を何度もくりかえした。

飽きもせず、朝も昼も夜も。

まるで表面張力でギリギリを保っていた議論欲が一気に溢れ出したみたいに。

友人は半年間のオーストラリア生活で溜めこんだ話を、

私は話し相手を失って溜め込んだ話を。

私も、きっと友人も、自分の内側を外にぶつけた時の反響音に飢えていた。

考える心地よさが欲しくて欲しくて。

話が膨らめば膨らむ程、どうしてもお互いの「枯渇」を感じずにはいられなかった。

 

あぁ、もしかしたら、ただのゼミ合宿だったのかもしれない。

 

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最終日の朝、2人で宿の台所を借りてフレンチトーストを作った。

砂糖のほのかな甘みは、どこか日本的で。

甘いミルクを注いだ紅茶によく合った。

この時期、オーストラリアの窓から入り込んでくる日差しはとても鋭い。

日本よりもっとカラッとした夏が漂っている。

日本はまだまだ冬だ。

スーツケースにしまいこまれたコートが布の塊に見えた。

 

私は旅に非日常をあまり求めない。

朝はいつも通りのトーストをかじり、

昼は人と話して、勧められた場所にフラッといき、

夜は音楽を聴いてドラマを見て眠る。

そういう1日が好みだ。

非日常は勝手に流れ込んでくるから、それをゆったり受け入れるのが私にはちょうどいい。

 

ちょうどいい。ちょうどいいのだ。