霧みたいな希望
楽しいこと、うまくいくこと。
しんどいこと、うまくいかないこと。
毎日たくさんあって、うまく折り合いをつけているのに。
たった一つの「うまくいかないこと」が全てを飲み込んでしまうことがある。
気にしないようにしても、気にしてしまう。
お得意の「次はこうしよう」に思考が向き切ってくれない。
そうして、低迷した心は新しい「うまくいかないこと」を引きつけてしまう。
目の前にあったはずの出口も黒いカーテンで覆われ、どこにあるのかわからなくなってしまう。
自力で出口を探す力は残っているのか、それすらもよく分からない。
もうそんな力などないと、認めることさえできなくて。
出口の外から誰かが入ってきて「出口はこっちだよ」と教えてくれたらいいのに、と。
霧みたいな希望を夢見てしまう。
だから、出口を見失っている人に
「心配してるよ、待ってるよ」なんて声をかけることで満足しないでほしい。
自力で出口を探せよ、って言ってるのと同じだから。
「本人の成長のために」なんて、その肝心な本人の残HPをわかっていないなら、あなたの期待はプレッシャーにしかならない。
出口を探せない自分を攻める材料を安易に与えないで。
そんなことするぐらいなら、踏み込んで、自分がこじあけた出口に引っ張って、出口の前で「じゃあ外で待ってるね」と手を離してほしい。
あと1歩で外に出れるところまで、連れていってくれたって、いいじゃない。
これは私の話であって、私の話じゃない。
出口を見失ったこともあるし、出口の手前まで引っ張ってもらったことも、「心配してるよ、待ってるよ」と他人に言葉をかけたことも何度もある。
「迷惑」とか「甘え」に引け目を感じるから、その人は「助けて」って言えないのかもしれないってことに、私たちはあまりに盲目過ぎる。
そんなことを、最近考える出来事がいくつかあった。
苦しいね。